本阿弥書店 歌壇 これまで雑誌に発表してきた発表作品・鑑賞文を紹介します 現代短歌 歌人 北久保まりこ

北久保まりこ プロフィール

北久保まりこ

東京都生まれ
東京都三鷹市在住
日本文藝家協会会員
日本PENクラブ会員
現代歌人協会会員
日本歌人クラブ会員
心の花会員
Tan-Ku共同創始者 Tanka Society of America

和英短歌朗読15周年記念動画
新作英文短歌
Spoken World Live発表作品

北久保まりこ

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歌人  北久保まりこ
本阿弥書店  歌壇

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これまで発表してきた、短歌・鑑賞文などを発表します。

少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この刺を抜けば止まらぬ血の量(かさ)を思へば抜けず抜かねば死ねず

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「あとがき」に「白い糸で綴じたものが死後にそっとみつかる、というのが憧れ」だったとある。

米国・バーモントの自然の中で詠まれた作品が、一ページに一首ずつ、英訳と見開きで、贅沢に収められている。

作者の生きた温もりを感じさせる作品が目をひいた。

・温泉はなけれど我の湯船には肌柔らかな歌う子のいて
・あかさたなと兄が言えば妹があかさかな「赤魚」と歌う
・「みのむし」と寝言をいったといわれけり宙ぶらりんの自分をみたか
・近道のはずが田舎の道にでて山美しく遠回りする
・かすかなる風のあしあと落ち葉道
・冬の雨おかめいんこのひとりごと

また、心の中にみちてきた思いを、二つの言語で表すことで、この一冊を受け入れる読者の幅が、どれだけ広がるかを作者は知っている。

そして恐らく、それによるリスクを引き受けることも、覚悟しているのだろう。

私は、和英対訳歌集を編む一人として、彼女の静かな、しかし勇気ある一歩にエールを送りたい。

今後は、この穏やかに呼吸するような詠いぶりに、揺るぎない個性が加わり、さらに完成されていくことを、心から祈っている。

これは、二千六年パリで出版された皇后陛下美智子様の御歌の仏語訳、御歌撰集『セオトーせせらぎの歌』(五十三首)に、世界から寄せられた反響を綴ったレポートである。

その一部を紹介すると、フランスのシラク前大統領より、〈和歌のもつ息吹の力と、魂の昂揚力とが絶妙に表現されている〉と賞賛の便りが届いた。また、同国の隔月誌『新歴史評論』主幹のD.ヴェーネル氏は、同誌・特集「日本のサムライ」の中で、〈これらの調べこそ、つつましき情感をもって歌われた永遠の大和魂への讃歌である〉と語っている。

絶賛の声は、はるかアフリカ大陸からも聞かれた。ルワンダで、青少年育成に力を注ぐO.デュクロ氏は、〈アフリカもまた、霊に重きを置く文明なのだ〉としたうえで、〈コトダマと呼ばれる崇高な精神を宿している御歌を、アフリカ中に伝え、青少年の情操に役立てるべきだ〉と講演した。すると、それに感動した、ルワンダ大学前教授は、御歌のポルトガル語訳にも乗り出したという。

興味深いのは、自ら仏語訳を手掛けた著者が、〈詩の翻訳とは、詩人と形影相伴う仲での影である〉と述べている点である。そして、一読者である私も、原作・日本語の放つ神秘性を再認識し、深い敬意を感じずにはいられなかった。

斯くして、日本から発せられた慈愛と祈りの言霊は、言語、国境を越えて世界と響き合い、今もなおその波紋は広がり続けている。

五月のバンクーバーの空は、透明な水色をしていた。日本から一人で訪れた私を迎えてくれたのは、針葉樹の匂いと野生の栗鼠だった。

雪を頂いたカナディアンロッキーを遥かに望むUBC(ブリティッシュコロンビア大学)が、今回の会場である。案内された宿泊棟はこざっぱりとした寮で、五泊六日の滞在は、遥々赴いた留学生の気分で始まった。

初日に開かれたパーティで、五・六十名の参加者が顔を合わせた。殆どがカナダ、アメリカ在住の短歌や俳句の愛好家である。互いに著書の紹介などを交わすうちに、和やかに打ち解け心地よい滑り出しとなった。

時差も手伝い、目蓋が重くなってきた夜十時、連句の会は始まった。私は出発前から、日程表のRenkuの文字がとても気になっていた。まず、本来なら五七五の次は七七と続けてゆくものを、英文でどうやるのか?要となる<捌き>を努める人間は居るのか?大体、英文で連句が楽しめるものだろうか?

しかし蓋を開けて、彼らの認識の深さに感服してしまった。まず、捌きがきちんと発句を提示し、次の句の指示を出したのである。発句が<三行>で次は<二行・春の花の句>という指示だった。集まった十五・六名は、挙ってそれに挑んだ。私は、彼らに失礼な考えをもっていたことを恥じながら、一生懸命に作った。一首でも捌きの目に留まる句が作りたい・・・連句の楽しみは言語の違いを超えていた。どこからともなく月桂冠の一升壜が出てくるあたりも、日本人が旅先でする連句宛らであった。

月の句、恋の句と皆で夢中になって作り進むうち、時計の針は深夜一時を回った。それでも一向に終わる気配も無く、誰も席を立たない。ここで日本人が寝てしまうわけにはゆかぬと私も頑張った。結局、二時半を回ったところで三十六首を完結し、全員から拍手がわき起こった。

駆け足の連句ではあったが、彼らの熱意に対し、ありがとうといいたい気持ちになって床に就いた。

私の今回の旅の目的である短歌朗読は、最終日の日程に組まれていた。翻訳から意味をくみとるだけでは得られない何かを、ぜひ彼らに感じとって欲しかった。

具体的な方法としては、まず日本語で一首読み、五七の音を感じて貰う。次に英語で読み、内容を理解して貰う。そのうえで、もう一度日本語で読み、韻律を味わって貰う、という三部構成で行った。

内容は対訳歌集『On This Same Star』より人間の愛・生・死という普遍的なテーマの作品と、二十年前のチェルノブイリの事故に因んだ作品の、合わせて二十五首である。

実際に読み始めると、聞き手の感動がジンジンと伝わってきた。国内で、これまでに何度も朗読をしてきたが、これほどの手応えと一体感は初めてだった。その情熱に突き動かされ、心の深みから朗読してゆくと、たくさんの魂が会場内で大きな渦になったような気がした。

そして「また聴きたいから来年も来て欲しい」と言われたことと、何人もから、熱っぽく”emotionalだった”という感想が得られたことが、この上なく嬉しかった。実際、廊下ですれ違う面々に、次々にハグされるほどの反響は、私自身想像もしていなかったことである。

これからも望まれれば、可能な限り出掛けていって、こうしたパフォーマンスを続けていきたいと思う。そして何より、国籍、性別、年齢を問わず、心と心に響き合う歌を作り続けたいと願っている。

未知の食材に出会う、というのも旅の楽しみのひとつである。

アフリカ大陸の東岸のほぼ中央に位置する国、タンザニア。私は知人のつてでこの国に旅して以来、その魅力に取り憑かれ、翌年に再び訪れたのだった。

農村の民家に滞在するという日程は、ごく普通の観光旅行として赴いた一度目とはわけが違った。旅立つ前に「何を出されても、恐れずに口に運ぼう。さもないと極東からの珍しい来訪者に対して、給仕してくれる現地の友に失礼になる」と自分に言い聞かせた。そして、心のなかで「頼むから虫だけは勘弁して下さい」と祈りながら飛行機に乗った。

今回の私の滞在地であるルカニという村は、キリマンジャロの麓にあった。首都ダルエスサラームから、バスとトラックの荷台を乗り継いで延々と赤土の悪路をゆく。始めのうちは荷台で弾みながら笑っていた仲間が、弾みすぎて眠くなるころ、バナナやアボガドの樹が多く見られる村に到着した。朝晩は羽織るものが必要な爽やかな高原の気候だった。

カウラという気立ての良い黒人女性が、滞在中の食事の世話をしてくれた。私は翌朝から彼女を手伝いたいと台所に立ったが、出国前の心配は全く不要であった。虫どころか、あまりに美味しくて驚いてしまったほどだ。主食は、玉蜀黍の粉から作るウガリという餅のようなもので、トマトシチューをつけて頂く。また、クミン、シナモン、カルダモンなどの香辛料をふんだんに使って、肉や野菜とともに炊き込むピラウはご馳走として格別であった。

料理法もさることながら、野菜が本来の甘味や旨味を十分に備えていることが大切なのではないだろうか。日本でも手に入れたいと思ったのは、ムチーチャという青菜だ。明日葉とほうれん草の間のような味が忘れられない。

何とも食い意地の張った旅行者で恥ずかしいが、是非また訪れて新しい食の発見をしたいものである。