記事詳細 国内、国外で短歌の表現活動を続けています。現代短歌 歌人 北久保まりこ

北久保まりこ プロフィール

北久保まりこ

東京都生まれ
東京都三鷹市在住
日本文藝家協会会員
日本PENクラブ会員
現代歌人協会会員
日本歌人クラブ会員
心の花会員
Tan-Ku共同創始者 Tanka Society of America

和英短歌朗読15周年記念動画
新作英文短歌
Spoken World Live発表作品

北久保まりこ

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歌人  北久保まりこ
記事詳細

沖縄体験集(渡嘉敷&伊江島) 歌誌くれない≪寄稿≫2011年

沖縄戦についてまだ詳しくは知らなかった私を受け入れ、平和を望む環の一員に加えて下さった沖縄の皆様に感謝し、稚拙ではあるがこの小文をお捧げしたいと思う。

[渡嘉敷島 -祈りの心で-]

 「絶滅が危ぶまれる花なんですよ。」もう少しで見逃してしまいそうだった俯きがちな白い花を、ガイドさんが指差して教えてくれた―琉球千鳥蘭。よく観ると蘭特有の気品があり、小さいながらも凛として風情がある。渡嘉敷島にはその他にも、薔薇の原種を思わせる可憐な琉球薔薇苺の花や釣鐘草に似たサイヨウシャジンなど、自然のままの緑の中に、楚々と咲く花々がそこかしこにあり、初めて訪れた私を出迎えてくれた。

 二月、この辺りはいつもなら雨の日が多いのだそうだが、麗らかな青空が広がっていた。

 しかしそれとは裏腹に、私が受けとめなければならなかったのは、あまりにも陰惨な史実だった。

 集団自決…それは恐らく、敵に八つ裂きにされるよりも辛い、あまりにも酷い現実であったろう。否、軽々しく“辛い”だの“酷い”だのという言葉で片付けてはいけない。

 恐らく彼らは、死して尚忘れられぬであろう。自らの子に、時には乳児にまで手をかけざるを得なかった親たちの地獄を。また、老いた父母の、祖父母の弱々しい首筋に、縄を又は縒った草をかけた時の恐怖に震える己の手を。

 彼らは、それまでの努力も成功も挫折も、そして手にしていた慎ましやかな幸いさえも、無残に抉り盗られた。この世に生を受けて以来の記憶のなかの、光の明滅のすべてを、そしてそれらを包み込む人生そのものを否定させられたのである。

 飛び散る肉片が、血の海がそうさせたのか、私はその地に立った時、突然の腹痛に襲われた。しかし、歩を進められぬほどではなかったので、ゆっくりと友たちの後に続いた。

 間もなく「アリラン慰霊のモニュメント」に到着すると、遠くに小鳥の声が聞こえ、程よい日差しが心地よかったが、それゆえにかえって歴史の物語る悲惨さが胸に迫った。

 ガイドさんが、空色のモザイクで彩られた小ぶりのテラスをさし、「ここでは踊りや歌が披露されることもあるんですよ。」と言うと、皆が私にも朗読するようにと促した。突然の提案で、何の用意も無かったが、祈りの心を精一杯にこめて自作の短歌を朗読した。すると、普段パフォーマンス中には流したことの無い涙が溢れ、先ほどからの痛みも次第に消え去った。悲しめる魂たちを、少しでも慰めることができたのならば良いが…。ここは、唯々ひたに≪祈りの心≫でのみ訪れることの許される地であると、肌で感じた。

 今からかれこれ十五年も前のことになるが、私が初めて息子を連れて沖縄を訪れた際、一番に見せたのは、瑠璃色の海でもなく、野生のヤマネコの愛らしい写真でもなかった。

 空港から直に向かったのは、ひめゆりの資料館、そして摩文仁の丘だった。今でもそれは間違ってはいなかったと思う。沖縄は、そしてこの渡嘉敷は、何人たりとも祈りの心を忘れて、訪れては欲しくないところなのである。

 本島へ戻るフェリーの座席で、今日一日を思い返し、デジカメ画像をチェックしていると、船内にアナウンスが響いた。「進行方向右前方に鯨を確認いたしました。」聞き終わらないうちに、私たちはデッキの手摺にしがみ付いていた。必死で懲らす肉眼に、悠然とした大きな鰭が見え、海原に雪のように白い飛沫が上がった。ああ、自然は、そして生きものは何と美しいのだろう。人間がこんなに醜い戦に明け暮れている間にも、花は咲き、動物たちは命を繋いでゆく。文明を築いたヒトが忘れ去り、思い出せぬ大切なことは、創造主に創られたままに、必要なだけを食べ、質朴に生きることではなかったろうか。

・絶望が火を加速する 殉死するために生まるる命など無い
・ラグーンに浮かぶ安らぎ 文明のつけた名前を知らないクラゲ

[伊江島「ヌチドゥタカラの家」を訪ねて]

 山鳩の声ものどかな、緑深い伊江島の里に≪ヌチドゥタカラの家≫

 資料館はある。雨上がりの土の香が、初めて訪れた私の心を和ませ、何か懐かしい気持ちにさせてくれた。

 しかし、資料館の扉を開け、室内に一歩踏み込んだ時のあの衝撃を、脳裏から拭い去ることはできない。そこには、都会的な博物館などには無い、胸ぐらに掴みかかってくるような迫力があった。天井から吊るされた裂け目の目立つパラシュート、血だらけの乳児の肌着、大量の軍服、軍靴、弾丸、至る所からたってくる匂い。ガラスケースに納まること無く、まさにそこに在るモノたちから発せられる累累としたおびただしい念…。それらに、完全に押し潰されそうになりつつ、それでも部屋の奥へと進んだ。

 「ここは、独りで来てはいけない場所だった。」という思いに襲われながら。でも、なぜか同時に、「否、独りではない。今私はあの戦争を知っている亡祖父母、亡父母、四人の亡伯父等と共に此処に立っている。」という、確信に近い不思議な感覚もあった。

 今回の伊江島訪問は、歌人の先輩であり信頼する友でもある玉城洋子氏の提案により実現した。これまでに、アブチラガマ、ギーザバンタ、佐喜真美術館、渡嘉敷島、県立図書館、宮森小学校に足を運び、今後もさらに認識を深めようとする私に、「次には是非、伊江島へ。」とのアドバイスだったのだ。折しも「この島は沖縄戦の全てが語られている」と書かれた文献を、県立図書館で閲覧したばかりでもあった。そんな訳で、滞在中にぽっかりと予定の空いた一日を無駄にする手は無いと、早速朝から高速バスとフェリーを乗り継いで出掛けたのだった。

 九年前に他界された阿波根昌鴻氏の養女・謝花悦子氏は、病院通いのお身体でありながら、私に二時間以上もの時を費やし、非暴力を訴え続けたここの創設者、阿波根氏について話して下さった。その穏やかではあるが芯の通った語り口にお養父様から受け継がれた生き様を垣間見た思いだった。

 さらに私を感動させたことは、氏が生涯の目標として掲げておられた聖書の箇所が、私が最も好きな箇所として諳んじていた所と重なっていたことだ。キリスト教信者でなくても解り易い内容なので、ここで引用したいと思う。

 ※愛は寛容であり、愛は情け深い、またねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える <-後略->
(コリント前書十三章より)

 ご承知の様に男女の愛ではなく己を犠牲にする愛をさし、人のあるべき姿を説いている。

 広い宇宙の中で、生命誕生のための希少な条件を満たしたこの星を「愛に満ちた星」とすることが、私たちにとって困難な、もしくは不可能なことであるのなら、それほど悲しむべきことはない。出会った者同士が殺し合うのではなく、出会えた奇跡に感謝し、お互いの素晴らしさを分かち合えたなら、と考えるのは、私やJ.レノンだけでは無いだろう。

・行かないで人を殺めに行かないで背中の羽も抜けきらぬ子等

・ほほ笑みを交せる奇跡 地球上たつた百年ほどの一生(ひとよ)に

・この星にともに生れし偶然よ木木も獣も魚もヒトも