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北久保まりこ ライブ活動

 発表作品・鑑賞文 歌人北久保 まりこ

これまでに雑誌に発表してきた短歌、鑑賞文、その他などご紹介します。

※出版社より依頼を受け、寄稿した短歌・鑑賞文などです。  

角川書店 短歌

2008年4月号 水鹿の耳

山の靄にひたりしわれは樹となりて立てり はるけき水鹿の声

われの手も足も小さくなり果てぬ竜のうろこの跡を追ひきて

微睡みの中に食むごと蓮霧(リェンム)なる果実はゆるき甘さをのこす

昼の渓夜より深しとろとろとかじかねむるか明るむあたり

水滴の水面にふれて交ざり合ひ川としてゆくこれより先は

水鹿の耳にて聴かむこれまでにききしものの音ぬぐへる瀑布

丹田に長く仕舞ひてゐしことも放たむか ゆるる青柳の枝

七十年前の少女も笑みゐたりタイヤル族のヤン婆の眼に

(タイヤル族:機織技術に優れた台湾原住の人々)

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2006年10月号  紅色匂玉

熊蝉と沢の蛙の住む処 だれもわたしを知らないところ

からまりし金糸ほどけぬ二万キロの星座空間メールにうめつ

くり返し悲しき夢をみぬやうに紅色匂玉(べにいろまがたま) 手首に下げる

雨の浜も悪くはないね真黒なラブラドオルに耳うちをする

柚子の皮すりおろされて香りたつわたしもこんな風ならいいな

右足の爪先ばかりつまづくはたぶん左と気まづいからか

脱走を遂げし男よ押しかへす風よりも沖の光のやうだ

皿洗ふ音聞きながら皿洗ふもう割らないわもうをはらない

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2005年9月号  琴鳥が鳴く

住み着いてしまひたくなるこの森に雨しみとほりまた朝がくる

雨を呼び雨に応ふるものの声わたしのなかに居るもう一人

すがた無き琴鳥が鳴くステテシマヘステテシマヘヨヒトノヨナンカ

少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ

その傷のふかさは知らぬままでよい しづかに問ひぬ角砂糖の数

見下ろせど落ちゆく先の視えぬ滝 何の実の毒かわれにまはりし

ゴンドワナ大陸なりしころの風おもはせて響く祖(おや)たちの笛

わが殻を破りてゆかむもう一度生まれてごらんと声がきこえる

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2004年9月号  蚊柱に入る

狂人のわれに会ひたる夢のあと音たてて洗ふ若布ひとかぶ

水槽のみづは黙せり疲れたる脳(なづき)よりひとつ泡ののぼり来

山道に耳を澄ますに夜の杉は乳白色の霊を吐きゐる

星星へむかふ蛍よ手のうちの死者のたましひをはこびゆくのか

冥府へも通じるらしも大き蛾を引き寄せてゐる電話ぼつくす

気付かずに蚊柱に入ることなども死すれば現(うつつ)の思ひ出ならむ

若き日の母を思ひき爪紅(つまべに)のむらさきひとつ手の平にのせ

郭公のことば知らねど亡き母の宿るがに鳴く落葉松林

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2003年5月号  樹皮に耳を

鳥の眼の高さ愉しもとこまでもゆるされし天おほらかなりき

まなしたの緑さわぎて鳥たちぬ生命の水を光らせながら

樹皮に耳をあてて聴きしはとほき日の記憶か母のせせらぎに似て

母の老いて追憶の霧に憩ふことおほくなりたりあをき火のもゆ

ゆれる海ゆれる思ひに立ちつくす引き返せない いのちまるごと

夕刻はその道に誰かゐる気配 二月の雨のなまあたたかし

をさな子の声を聞きしか空耳は木漏れ陽をすこし悲しくさせる

さんざめくこずゑの水よ影までも光ふふめる命いとほし

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ながらみ書房 短歌往来

2006年6月号 水よーよー

水溜りから雲が出てゆくやうにしてあの朝父は居なくなりたり

そんなこと取るに足らぬとボサノバが耳たぶのへりをすべりてゆきぬ

たかだかと掲げられゐし肩車だれなりしやあのおほきなる手は

すもも酒 夜ごと夜ごとに赤くなれ母体にまろくわらべは肥ゆ

生まれ出でたしと思はずただ生まれ出でたるままに魚の泳ぐ

ねぇといふ声の届いてゐた頃を思ひ出させるこんな晴れの日

水風船ひとつふたつとつきたる日父も母もゐきひかりのなかに

照り陰るひとの心のいく襞をこゆればたどり着けるだらうか

たわい無きやりとりののち癒えゆきて駆けてかへらむからつぽの空

久びさにささくれ痛し天上のわが父母は笑みたまふらし

戯言のごときくりごと自らの死にも気付かず揺り椅子ゆらす

父を歌ふことを休まむ今日ひと夜父をもつ子のふりして眠る

百年後のわたしを掬ひあげてゐる両手に一杯の熱もてる砂

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2004年8月号  ひだる神

をはらない夏のけだるさ夜の水は拭はぬままに光らせておく

密にして茂るままの木したにてわれに宿るや夏の夜のみづ

茉莉花(まつりくわ)のかをりたちくる夜の坂ひとりの時は神もつやめく

まとひつく昨夜(よべ)の風ありまだわれは決めかねてをりみづの行方を

分け入るをアヅマネ笹は拒めるに野の双眼のわれに戻り来

想ひとげず逝きたる人のこゑかとも指のかたちに咲くグロリオサ

眼うらに光のこしてもう見えぬ谷の魚よ 恋のようなり

スコールを受くべし両の胸うちにアジアの土よアジアの幹よ

すれ違ひし黒衣の妊婦ひだる神なりしかやはく海のかをりす

わがうちの谷川に落つる滝ひとつのこしてゆきし君といふ人

ゆうらりと光を胎む水中の亡き母に問ひたき鈍色の闇

あの世とはどの世なるらむこの世との境のふいに曖昧となる

短命と言はれゐしわが手のひらに野薊の棘の刺さる快感

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2003年3月号  砂丘の時間

巨いなる砂の時計に迷ふごとときをり砂の数多降り来ぬ

流星の余韻しいんと冷えわたりわれも時間もみえなくなりぬ

たたなはる時の風紋のてりかげりうしなはれゆく記憶の蛇行

砂山に足をとられてはためける布の一部になりたり我は

風紋にひかりのうねり もう二度と思ひ出されぬだれかの名前

まつすぐな欅並木のその果てにベージュにけむる死・・・のやうなもの

現身とへだてなく死を思ふとき土埃して過去おしよせぬ

「おほむかしあなたは海だつたのでせう」細胞のなかにさわぐ水たち

砂嵐ひとつでわれの虹までも奪はれることいとも容易し

アンダンテ・カンタービレを聴きながら羽化してみたし雨あがる夜

ちぢみたる羽をのばしてゆく時間はばたく時間 弦楽のやう

とまらないかなしみの水 わたくしを保つさいごの弁かもしれず

癒えぬままむかへる春に微かなれどなにかうつろひゆくを予感す

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2002年2月号  星と土とカンガ タンザニア、ルカニ村にて

椰子よりもバナナの多く見えはじめ村近付きぬ 赤土の道

ゆっくりと過ぎてゆく時間 老人は木下の椅子で手をふりており

訪れし小学校の校庭にわれの両手をうばいあう子ら

ルカニの夜あふるる星座それぞれに奏でていたり聖霊のこえ

いくつかは星残りたる夜明け前 ルカニの空の霧のしずけさ

チャパティとチャイ * に始まる村の朝 霧のむこうの牡牛の声

市場にてカンガ ** を値切る村人の群れのひとりにまぎれていたり

イモ、キャベツ、バケツに笑顔はずみたり市場帰りの荷台のうえで

荷台にて手をふるわれに走りよる村の子供ら星の子のよう

バナナの葉ぱらぱらならす風の窓「元気でいます。タンザニアにて」

やわらかくおもく眠りにおちる時 星のてまえで椰子の葉そよぐ

なつきたり痩せ犬村を去る朝もくびかしげつつ我を見ている

頂はジュラルミン色のキリマンジェロ荷台より見る村を去る朝

花も樹も人も家畜も土くさく生まれしままにうつくしかりき

靴うらの赤土はあえて落とさずに旅のおわりの段をくだりぬ

*  チャパティとチャイ:クレープとミルクティ

** カンガ:パレオのように巻き付けて着る布

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2003年8月号 短歌往来(ながらみ書店) 今月の視点

つぎにくる波

幼いころから何気なく、五音七音に親しんではいたが、歌と本気で向き合うようになったのは、ほぼ十年前。口語が短歌に積極的に取り入れられるようになり、軽くうたうことが当たり前になり始めた頃のことである。以前、長く引きずられ続けてきた「私」の問題についても、すでにすっかり安定した後の時代。手軽に歌を始められるお膳立てがすべて整い、川本千栄氏のことばを借りれば(「短歌研究」四月号・時評)「最初からそこにあった」状態からのスタートであった。心地良くまるで呼吸をするような、自然で軽やかなうたいぶりに、手招きをされるがごとく短歌に入っていった若者たちも多かったのではないだろうか。言ってしまえば、恐ろしく安易に歌を始めることができるタイミングであった、ということになる。

 しかし、過去の歴史を知らなければ、国を語ることはできないのと同様に、これまでの道程を視野に入れることなく、ライト路線で走りつづけることは無論できない。それどころか、私のようなタイミングで安穏と歌を始めた人間は、かなりの危険をはらんでいるということをも、肝に命じておかなければならないのである。

 また、ここ数年、私はどちらかと言えば、重い内容の歌にひきつけられ、自らも詠おうと努力するようになってきたことに気づき始めている。表現者である私たちは、それぞれの表現の扉(絵画、詩歌、舞踏、音楽など)は何であれ、同じ時代に生きている者として、国際社会的な時代背景も無視することはできない。

 同時に、自らの作歌にあたり、激変する世相のただ中で、短歌でなければできないことを追い求めてゆきたい、と思うのである。例えば、表面的なもののうしろ側に見え隠れする思念などを。いわゆる〈写実〉を、ここで批判しているのではないことは言うまでもない。現代は、それぞれが個性の柵の上空に、とうに過ぎ去ったライトヴァースの次に来るものを、感じ取っている時代と言えるのではないだろうか。

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本阿弥書店  歌壇

2008年11月号 「歌集・歌書の森」
大石道子句歌集『あかさたなあかさかな』

 

 「あとがき」に「白い糸で綴じたものが死後にそっとみつかる、というのが憧れ」だったとある。
 米国・バーモントの自然の中で詠まれた作品が、一ページに一首ずつ、英訳と見開きで、贅沢に収められている。
 作者の生きた温もりを感じさせる作品が目をひいた。


・温泉はなけれど我の湯船には肌柔らかな歌う子のいて
・あかさたなと兄が言えば妹があかさかな「赤魚」と歌う
・「みのむし」と寝言をいったといわれけり宙ぶらりんの自分をみたか
・近道のはずが田舎の道にでて山美しく遠回りする
・かすかなる風のあしあと落ち葉道
・冬の雨おかめいんこのひとりごと

 

 また、心の中にみちてきた思いを、二つの言語で表すことで、この一冊を受け入れる読者の幅が、どれだけ広がるかを作者は知っている。
 そして恐らく、それによるリスクを引き受けることも、覚悟しているのだろう。
 私は、和英対訳歌集を編む一人として、彼女の静かな、しかし勇気ある一歩にエールを送りたい。
 今後は、この穏やかに呼吸するような詠いぶりに、揺るぎない個性が加わり、さらに完成されていくことを、心から祈っている。

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2008年11月号 「歌集・歌書の森」
竹本忠雄著『祈りの御歌』

 

 これは、二千六年パリで出版された皇后陛下美智子様の御歌の仏語訳、御歌撰集『セオトーせせらぎの歌』(五十三首)に、世界から寄せられた反響を綴ったレポートである。
 その一部を紹介すると、フランスのシラク前大統領より、〈和歌のもつ息吹の力と、魂の昂揚力とが絶妙に表現されている〉と賞賛の便りが届いた。また、同国の隔月誌『新歴史評論』主幹のD.ヴェーネル氏は、同誌・特集「日本のサムライ」の中で、〈これらの調べこそ、つつましき情感をもって歌われた永遠の大和魂への讃歌である〉と語っている。
 絶賛の声は、はるかアフリカ大陸からも聞かれた。ルワンダで、青少年育成に力を注ぐO.デュクロ氏は、〈アフリカもまた、霊に重きを置く文明なのだ〉としたうえで、〈コトダマと呼ばれる崇高な精神を宿している御歌を、アフリカ中に伝え、青少年の情操に役立てるべきだ〉と講演した。すると、それに感動した、ルワンダ大学前教授は、御歌のポルトガル語訳にも乗り出したという。
 興味深いのは、自ら仏語訳を手掛けた著者が、〈詩の翻訳とは、詩人と形影相伴う仲での影である〉と述べている点である。そして、一読者である私も、原作・日本語の放つ神秘性を再認識し、深い敬意を感じずにはいられなかった。
 斯くして、日本から発せられた慈愛と祈りの言霊は、言語、国境を越えて世界と響き合い、今もなおその波紋は広がり続けている。

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2008年3月号 アンソロジー2007 テーマ別私の一首 800氏 自然

酒になる前の葡萄のひと粒が幼い眼をして助けてと言ふ

2007年3月号 アンソロジー 2006 テーマ別私の一首 800氏 家族

水溜りから雲が出てゆくやうにしてあの朝父は居なくなりたり

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2006年8月号 ◆トピックス◆
短歌・俳句フェスティバル at バンクーバー


北久保まりこ


 五月のバンクーバーの空は、透明な水色をしていた。日本から一人で訪れた私を迎えてくれたのは、針葉樹の匂いと野生の栗鼠だった。

 雪を頂いたカナディアンロッキーを遥かに望むUBC(ブリティッシュコロンビア大学)が、今回の会場である。案内された宿泊棟はこざっぱりとした寮で、五泊六日の滞在は、遥々赴いた留学生の気分で始まった。

 初日に開かれたパーティで、五・六十名の参加者が顔を合わせた。殆どがカナダ、アメリカ在住の短歌や俳句の愛好家である。互いに著書の紹介などを交わすうちに、和やかに打ち解け心地よい滑り出しとなった。

 時差も手伝い、目蓋が重くなってきた夜十時、連句の会は始まった。私は出発前から、日程表のRenkuの文字がとても気になっていた。まず、本来なら五七五の次は七七と続けてゆくものを、英文でどうやるのか?要となる<捌き>を努める人間は居るのか?大体、英文で連句が楽しめるものだろうか?
 しかし蓋を開けて、彼らの認識の深さに感服してしまった。まず、捌きがきちんと発句を提示し、次の句の指示を出したのである。発句が<三行>で次は<二行・春の花の句>という指示だった。集まった十五・六名は、挙ってそれに挑んだ。私は、彼らに失礼な考えをもっていたことを恥じながら、一生懸命に作った。一首でも捌きの目に留まる句が作りたい・・・連句の楽しみは言語の違いを超えていた。どこからともなく月桂冠の一升壜が出てくるあたりも、日本人が旅先でする連句宛らであった。
 月の句、恋の句と皆で夢中になって作り進むうち、時計の針は深夜一時を回った。それでも一向に終わる気配も無く、誰も席を立たない。ここで日本人が寝てしまうわけにはゆかぬと私も頑張った。結局、二時半を回ったところで三十六首を完結し、全員から拍手がわき起こった。
 駆け足の連句ではあったが、彼らの熱意に対し、ありがとうといいたい気持ちになって床に就いた。
 私の今回の旅の目的である短歌朗読は、最終日の日程に組まれていた。翻訳から意味をくみとるだけでは得られない何かを、ぜひ彼らに感じとって欲しかった。
 具体的な方法としては、まず日本語で一首読み、五七の音を感じて貰う。次に英語で読み、内容を理解して貰う。そのうえで、もう一度日本語で読み、韻律を味わって貰う、という三部構成で行った。
 内容は対訳歌集『On This Same Star』より人間の愛・生・死という普遍的なテーマの作品と、二十年前のチェルノブイリの事故に因んだ作品の、合わせて二十五首である。
 実際に読み始めると、聞き手の感動がジンジンと伝わってきた。国内で、これまでに何度も朗読をしてきたが、これほどの手応えと一体感は初めてだった。その情熱に突き動かされ、心の深みから朗読してゆくと、たくさんの魂が会場内で大きな渦になったような気がした。
 そして「また聴きたいから来年も来て欲しい」と言われたことと、何人もから、熱っぽく”emotionalだった”という感想が得られたことが、この上なく嬉しかった。実際、廊下ですれ違う面々に、次々にハグされるほどの反響は、私自身想像もしていなかったことである。
 これからも望まれれば、可能な限り出掛けていって、こうしたパフォーマンスを続けていきたいと思う。そして何より、国籍、性別、年齢を問わず、心と心に響き合う歌を作り続けたいと願っている。

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2006年3月号  アンソロジー 2005 テーマ別私の一首 800氏 生

少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ

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2005年3月号  特集アンソロジー 2004 テーマ別私の一首 800氏 死

この刺を抜けば止まらぬ血の量(かさ)を思へば抜けず抜かねば死ねず

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2004年11月号 歌壇(本阿弥書店) 五感のよろこび23

ビバ・タンザニア

未知の食材に出会う、というのも旅の楽しみのひとつである。

 アフリカ大陸の東岸のほぼ中央に位置する国、タンザニア。私は知人のつてでこの国に旅して以来、その魅力に取り憑かれ、翌年に再び訪れたのだった。

 農村の民家に滞在するという日程は、ごく普通の観光旅行として赴いた一度目とはわけが違った。旅立つ前に「何を出されても、恐れずに口に運ぼう。さもないと極東からの珍しい来訪者に対して、給仕してくれる現地の友に失礼になる」と自分に言い聞かせた。そして、心のなかで「頼むから虫だけは勘弁して下さい」と祈りながら飛行機に乗った。

 今回の私の滞在地であるルカニという村は、キリマンジャロの麓にあった。首都ダルエスサラームから、バスとトラックの荷台を乗り継いで延々と赤土の悪路をゆく。始めのうちは荷台で弾みながら笑っていた仲間が、弾みすぎて眠くなるころ、バナナやアボガドの樹が多く見られる村に到着した。朝晩は羽織るものが必要な爽やかな高原の気候だった。

 カウラという気立ての良い黒人女性が、滞在中の食事の世話をしてくれた。私は翌朝から彼女を手伝いたいと台所に立ったが、出国前の心配は全く不要であった。虫どころか、あまりに美味しくて驚いてしまったほどだ。主食は、玉蜀黍の粉から作るウガリという餅のようなもので、トマトシチューをつけて頂く。また、クミン、シナモン、カルダモンなどの香辛料をふんだんに使って、肉や野菜とともに炊き込むピラウはご馳走として格別であった。

 料理法もさることながら、野菜が本来の甘味や旨味を十分に備えていることが大切なのではないだろうか。日本でも手に入れたいと思ったのは、ムチーチャという青菜だ。明日葉とほうれん草の間のような味が忘れられない。

 何とも食い意地の張った旅行者で恥ずかしいが、是非また訪れて新しい食の発見をしたいものである。

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雁書館  現代短歌 雁

2003年12月(冬号)56号  アンケート特集 アンソロジー『私の代表歌』

おちてゆく夕陽の重み 頭(ず)の内にぶあついガラスのわれる音する

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梧葉 短歌総合新聞

08年夏号(vol. 18) 現代作家新作5首 空とよびし日

父の死を知らずにをりし歳月をうづめる雪が欲しきこの夏

海の気がめぐりに充ちぬ月面図ひらきしままに眼閉づれば

落葉松の吾に沁むるなり七月の水をたたへておりてくるそら

死ののちは樹心に棲まむ月光の中に魑魅(すだま)の子らと遊ばむ

揺るぎ無きなにかがありき輝けるものを仰ぎて空と呼びし日

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鑑賞文・その他

2006年4月号 短歌(角川書店) 生誕100周年特集 「今だから木俣修」

歌集『谷汲』より


 生きてあらば二十七歳その母に言はんとぞして口を噤みぬ       (夏・哀傷 澄高禅童子二十年忌より)


 長男・高志の二十年忌に詠まれた歌である。幼いわが子に先立たれた心情は、察するに余りある。時を経ても 癒されぬ喪失感が、作品から滲んで止まない。

 親族や近しい人たちを、相次いで亡くした修にとって、高志の誕生は、闇に差す光そのものであっただろう。しかしその新しい命までも、たった数年で奪われるという悲運に、見舞われてしまったのである。

 毎年命日が巡る度に、修と「その母」は、あの夏の日へと引き戻される。二人は、現実の日々を生きながら、もう一つの、二十年前に止まってしまった時間を、抱えているのである。そして、「生きてあらば」と、その歳の頃を思い、青年になっているはずの子の姿を、霞のようにみるのであった。死者と生者の間に横たわる、混沌とした時を通して、無限の奥行を感じさせる作品である。

 修は、「その母」に言いかけたうわ言のようなことばに「口を噤み」、止まった時の振り子の前に蹲っている。そしていつしか、一読者である私も、その動かぬ時を共有していることに、気付かされたのであった。

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2006年3月号 短歌現代(短歌新聞社) 特集・斉藤茂吉を受け継ぐために

「 40代歌人による40代の茂吉 一首鑑賞」


友とともに飯に生卵をかけて食ひそののち清き川原に黙す 『遍歴』より


 茂吉がドイツに留学して二年目の作品である。この背景には、父の他界と関東大震災という、突然の相次ぐ悲報があった。

 「飯に生卵かけて食う」という独特の食文化が、単なる郷愁以上の、深い切なさを感じさせる。そして結句の「黙す」から、やり場の無い重苦しさと、語り合ってもどうにもならぬ、という諦念が伝わってくる。

 この歌が詠まれた大正十二年、母国とドイツとを隔てていた感覚的な距離は、今とは比較にならぬほど遠かったであろう。

そして懐かしい味覚は、幼い頃に慣れ親しんだ風景や、面差しをも思いおこさせる。

 後には、ただ祈ることしかできなかった茂吉の無力感が、粉雪のように降るばかりであった。

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