記事詳細 国内、国外で短歌の表現活動を続けています。現代短歌 歌人 北久保まりこ

北久保まりこ プロフィール

北久保まりこ

東京都生まれ
東京都三鷹市在住
日本文藝家協会会員
日本PENクラブ会員
現代歌人協会会員
日本歌人クラブ会員
心の花会員
Tan-Ku共同創始者 Tanka Society of America

和英短歌朗読15周年記念動画
新作英文短歌
Spoken World Live発表作品

北久保まりこ

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歌人  北久保まりこ
記事詳細

「心の花」(結社誌)2009年10月号 佐佐木幸綱の一首 歌集『直立せよ一行の詩』より

握り飯を食いつつ見ている一滴の水に写れる世界のかぎり

掲出歌は「水」と題された二十四首の冒頭の作である。一連には、過去十年間に作者を残して逝った友人知人ら(岸上大作、伊藤栄治、高橋和巳、小野茂樹、三島由紀夫)の死にふれ、彼らの無念や、自らが生きること、歌うことに対する思いを綴った次のような文章が添えられている。
「(前略)生者にとっては絶対である死の世界からの彼らの働きかけに、言いわけし、許しを乞うみっともなさに自ら耐えることも、生きること歌うことを選ぶ者に必然な、生き恥、歌い恥なのだ。」
 死者を意識した作品に、大きく心揺さ振られた。まず、極小レンズのような「一滴の水」に焦点をあわせてみる。すると、私たち生物が生命を維持するために不可欠であり基本的な、食するという行為が見えてくる。またそこには、作者が気にも留めていないような些細な諸事の一切と、時間のながれさえもが存在していた。あたかも、本人が気付く以前から設置されていた、盗撮カメラのように。

このことは、何気ない日常に隣り合わせている、死者たちの視線をも連想させる。もしかすると彼らは、それを通してこちら側を観、なにがしかの「働きかけ」を、無言のうちに試みているのかも知れない。
「絶対である死の世界」からすれば、生にしがみつく私たちは、さぞ滑稽で情けない姿として映ることだろう。この歌は、作者がそれを認め、背負って生きていく覚悟を固めた第一歩に他ならない。

ここで、関連のある作品を一首引いておきたい。

わが歌をすなわち生きる恥として若葉の中に溺れたきかな
(歌集『夏の鏡』より)

なんと骨太で、心地の良い歌なのだろう。この歌からは、掲出歌の根底に流れていた概念が、さらに深められた後の、作者の「生き恥、歌い恥」に対する、心理的な脱皮が感じられる。それを諦念としてではなく、肯定的にとらえて引き受け、達観した心境で堂々とうたうことにより、読者にこのうえない爽快感を与えられるのだと思うからである。

ここ十数年間で、身近な親族のほぼ全員が他界した私にとって、<死>は遠い出来事ではなくなっていた。ふとした瞬間に、たとえば庭に大水青がやって来るように、いとも自然に音もなく、それは舞い降りるものだ。帰りつくよりどころを失い、独り「恥」を抱えて日々を送ることに慣れてしまっていた私には、こうした作品に出会えることが、共有する安堵感を得、またポジティブな思考へいざなわれるという意味で、大きな救いでもあり、幸いなのである。